知財判例コラム
マツモトキヨシ事件(知財高裁令和3年8月30日判決)
1. はじめに
株式会社マツモトキヨシホールディングス(以下、「原告」といいます。)は、平成29年(2017年)1月、「マツモトキヨシ」のフレーズからなる音商標を出願しましたところ、特許庁(以下、「被告」といいます。)は、商標法4条1項8号を理由に商標登録を認めませんでした。
これに対して、今回のコラムで取り上げる知財高裁判決は、「マツモトキヨシ」のフレーズからなる音商標は、商標法4条1項8号に該当せず、特許庁の判断には誤りがあるとして、特許庁の審決を取り消しました。
上記事件について、当事務所が過去に担当したケンキクチ事件との対比を踏まえ、今回のコラムでご紹介させて頂きます。
2. 事案の概要
- 本件は、以下に示す音からなる商標について、被告において、原告がした商標登録出願につき拒絶査定がなされ、拒絶査定不服審判の請求も請求不成立の審決がなされたことから、原告がその取消しを求めた審決取消訴訟です。
(事件類型)審決(拒絶)取消 (結論)審決取消
(関連条文)商標法4条1項8号
(関連する権利番号等)商願2017-007811号
(審決)不服2018-8451号
(商標登録を受けようとする商標)
- 本判決は、本願商標の商標法4条1項8号該当性の判断の誤りを理由に審決を取り消したため、上記「マツモトキヨシ」のフレーズからなる音商標に関して商標登録が認められることになりました(その後、被告が上告・上告受理申し立てをしなかったことにより本判決が確定しました。)。
3. 主な争点
「マツモトキヨシ」のフレーズからなる音商標が、商標法4条1項8号に該当するか否かが問題となりました。
4. 原審決と知財高裁の判断
- 原審決の判断
原審決の要旨は、①本願商標は、別紙記載1のとおり、音楽的要素及び「マツモトキヨシ」という言語的要素からなる音商標(「音からなる商標」。以下同じ。)であるところ、ウェブサイトやNTT東日本及び西日本の「ハローページ」には、「マツモト」を読みとする姓氏及び「キヨシ」を読みとする名前の氏名の者が多数掲載されている実情があることからすると、本願商標を構成する「マツモトキヨシ」という言語的要素は、「マツモトキヨシ」を読みとする人の氏名として客観的に把握されるものであるから、本願商標は、人の「氏名」を含む商標である、②上記ウェブサイト及び「ハローページ」に示された「マツモトキヨシ」を読みとする氏名の者は、原告(請求人)と他人であると認められるが、原告は、当該他人の承諾を得ているものとは認められない、③したがって、本願商標は、「他人の氏名」を含む商標であり、かつ、その他人の承諾を得ているとは認められないものであるから、商標法4条1項8号に該当し、登録することができない、④仮に本願商標が原告又はその子会社の商号の略称及び同子会社が経営するドラッグストア、スーパーマーケット及びホームセンターの店舗名を表すものとして一定の著名性があったとしても、かかる事実は本願商標の同号該当性の判断を左右するものではないというものでした。 - 知財高裁の判断
これに対して、知財高裁は、概要、以下のとおり判示するなどして、本願商標の商標法4条1項8号該当性の判断の誤りを理由に審決を取り消しました。- ①本願商標について
- 音商標は、人の聴覚によって認識される商標であり、音商標について商標登録を受けようとする場合には、その旨を願書に記載し、願書の「商標登録を受けようとする商標」欄に、文字若しくは五線譜又はこれらの組み合わせを用いて商標登録を受けようとする音を特定するために必要な事項を記載するとともに、経済産業省令で定める物件(「音声ファイル」)を添付しなければならない。五線譜において商標を表す場合は、音符、音部記号、拍子記号及びテンポを、また、必要に応じて言語的要素(歌詞等が含まれるとき)及び休符を「商標登録を受けようとする商標」欄に記載することによって商標登録を受けようとする音が特定される。
- 本願商標は、五線譜に表された音楽的要素及び「マツモトキヨシ」の片仮名で記載された歌詞の言語的要素からなる音商標である。本願商標の構成中の言語的要素からなる音は、「マツモトキヨシ」と称呼される。また、本願の願書に添付された音声ファイルには、リズム、メロディー等の音楽的要素に乗せて男性の声の音色で「マツモトキヨシ」という言語的要素を発する音が収録されている。
- ②本願商標の商標法4条1項8号該当性について
- 商標法4条1項8号が、他人の肖像又は他人の氏名、名称、著名な略称等を含む商標は、その承諾を得ているものを除き、商標登録を受けることができないと規定した趣旨は、人は、自らの承諾なしに、その氏名、名称等を商標に使われることがないという人格的利益を保護することにあるものと解される。
このような同号の趣旨に照らせば、音商標を構成する音が、一般に人の氏名を指し示すものとして認識される場合には、当該音商標は、「他人の氏名」を含む商標として、その承諾を得ているものを除き、同号により商標登録を受けることができないと解される。
また、同号は、出願人の商標登録を受ける利益と他人の氏名、名称等に係る人格的利益の調整を図る趣旨の規定であり、音商標を構成する音と同一の称呼の氏名の者が存在するとしても、当該音が一般に人の氏名を指し示すものとして認識されない場合にまで、他人の氏名に係る人格的利益を常に優先させることを規定したものと解することはできない。
そうすると、音商標を構成する音と同一の称呼の氏名の者が存在するとしても、取引の実情に照らし、商標登録出願時において、音商標に接した者が、普通は、音商標を構成する音から人の氏名を連想、想起するものと認められないときは、当該音は一般に人の氏名を指し示すものとして認識されるものといえないから、当該音商標は、同号の「他人の氏名」を含む商標に当たるものと認めることはできないというべきである。
- ドラッグストア「マツモトキヨシ」の事業展開、原告の登録商標及びその使用、テレビコマーシャルの状況等に関する認定事実によれば、本願商標に関する取引の実情として、「マツモトキヨシ」の表示は、本願商標の出願当時(出願日平成29年1月30日)、ドラッグストア「マツモトキヨシ」の店名や株式会社マツモトキヨシ、原告又は原告のグループ会社を示すものとして全国的に著名であったこと、「マツモトキヨシ」という言語的要素を含む本願商標と同一又は類似の音は、テレビコマーシャル及びドラッグストア「マツモトキヨシ」の各小売店の店舗内において使用された結果、ドラッグストア「マツモトキヨシ」の広告宣伝(CMソングのフレーズ)として広く知られていたことが認められる。
前記の取引の実情の下においては、本願商標の登録出願当時(出願日平成29年1月30日)、本願商標に接した者が、本願商標の構成中の「マツモトキヨシ」という言語的要素からなる音から、通常、容易に連想、想起するのは、ドラッグストアの店名としての「マツモトキヨシ」、企業名としての株式会社マツモトキヨシ、原告又は原告のグループ会社であって、普通は、「マツモトキヨシ」と読まれる「松本清」、「松本潔」、「松本清司」等の人の氏名を連想、想起するものと認められないから、当該音は一般に人の氏名を指し示すものとして認識されるものとはいえない。
したがって、本願商標は、商標法4条1項8号の「他人の氏名」を含む商標に当たるものと認めることはできないというべきである。
- 商標法4条1項8号が、他人の肖像又は他人の氏名、名称、著名な略称等を含む商標は、その承諾を得ているものを除き、商標登録を受けることができないと規定した趣旨は、人は、自らの承諾なしに、その氏名、名称等を商標に使われることがないという人格的利益を保護することにあるものと解される。
- ①本願商標について
5. 検討
- 商標法4条1項8号について
商標法4条は、公益的理由や私益との調整の観点から、独占権を認めるべきではない商標に関する具体的な登録要件を列挙しており、当該条項に該当した場合には商標登録が認められません。この点、同条1項8号は、「他人の肖像又は他人の氏名若しくは名称若しくは著名な雅号、芸名若しくは筆名若しくはこれらの著名な略称を含む商標(その他人の承諾を得ているものを除く。)」と規定していますので、「他人の氏名」を「含む商標」は、商標登録が原則として認められないことになります。
ここで問題となるのが、出願人本人が、自身の氏名を商標出願したとしても、商標法4条1項8号によって出願が拒絶されるということです。
すなわち、例えば、出願人である松本清さんが、「マツモトキヨシ」の商標を登録する場合でも、出願人である松本清さん以外の松本清さんは、出願人からみて他人である以上、「他人の氏名」を含む商標に該当すると判断されるのです。
そして、「他人の氏名」を含む商標に該当すると判断された場合には、「(その他人の承諾を得ているものを除く。)」との規定にしたがい、「他人の承諾」を得ない限り、自らの氏名を冠した商標であっても、商標登録が認められないという結論に至ります。
なお、「他人の承諾」についてですが、特許庁の運用では、ハローページの掲載状況、ウェブページ上の情報に基づいて読みを同じくする同姓同名の他人の存在を認定した上で、それらの者から承諾を得ているかどうかを判断します(過去の裁判所の判断もこれを踏襲しています。)。
そのため、氏名がありふれたものである場合には、例えば「マツモトキヨシ」さんであれば、日本国内の膨大な数の「マツモトキヨシ」さん全員から承諾書を取得する必要があり、およそ現実的な解決手段とはいえないものとなっています。
- 矛盾点
上記1のとおりであるとすれば、わが国には、自己の氏名を冠した登録商標が存在しないことになるはずですが、下表のように、氏名を冠したブランドについて、前述の基準によれば「他人の氏名」に該当することが明らかであるにも関わらず、多数の商標登録が認められているのが実情です。番号 商標の内容 区分 登録年月日 1 「YOHJI YAMAMOTO」
(商標登録第1678376号等)20.25 昭和59年4月20日 2 「HIROKO KOSHINO」
(商標登録番号第1708607号)25等 昭和59年8月28日 3 HANAE MORI」
(商標登録番号第2086820号)14.18.25等 昭和63年10月26日 4 「スズキコウ\鈴木康」
(商標登録番号第2162434号)24.25 昭和64年8月31日 5 「jun ashida」
(商標登録番号第4266128号)25 平成11年4月23日 6 「KANSAI YAMAMOTO」
(商標登録番号第4484792号)18.24.25等 平成13年6月22日 7 「たかの友梨」
(商標登録番号第4650745号)25 平成15年3月7日 8 「ISSEY MIYAKE」
(商標登録番号第4810546号)18.25等 平成16年10月15日 9 「REMI HIRANO」
(商標登録番号第5272026号)18.25等 平成21年10月9日 10 「長嶋茂雄」
(商標登録番号第5401366号)25等 平成23年3月25日 上表のとおり、特許庁の判断は、それ自体矛盾をはらむものであり、実務の取り扱いにおいて、不公平かつ不明確な判断が横行し、商標出願時における予測可能性が担保できず、混乱状態が継続している状況にありました。
- 近時の知財高裁の判断の枠組みについて
この点、近時の知財高裁の判断の枠組みは、①まず、対象商標に関して、人の氏名として客観的に把握されるものであるか否かを事実認定し、②人の氏名として客観的に把握されるもの=「他人の氏名」に該当する場合には、当該他人の承諾を得てないことを理由に商標登録を認めない、というものです。その上で、①の判断は、対象商標の外形から客観的に判断されるべきものであり、「他人の氏名」を含む商標である認定される以上、出願商標が一定の周知性を持つことは当該判断を左右するものではなく、そもそも考慮の必要はないとの頑なな態度を取ってきました。
- 近時の知財高裁の判断と本判決との相違点について
これに対して、本判決は、商標法4条1項8号の立法趣旨につき、過去の最高裁判例を先例として、自らの承諾なしに、その氏名、名称等を商標に使われることがないという人格的利益を保護することにあるものとしながらも、同号は、出願人の商標登録を受ける利益と他人の氏名、名称等に係る人格的利益の調整を図る趣旨の規定であり、一般に人の氏名を指し示すものとして認識されない場合にまで、他人の氏名に係る人格的利益を常に優先させることを規定したものと解することはできない、として、同号の立法趣旨に含みを持たせました。その上で、本判決は、客観的な評価のみならず、①の判断に「取引の実情」という抽象的概念を導入し、これまでの方針を転換して、事実上、対象商標が一定の周知性を持つか否かという観点で、「他人の氏名」に該当する否かを判断したものと理解しております(私見)。
6. まとめ
当職としては、従来の知財高裁の判断と本判決の判断とでは、整合性がとれておらず、本判決の判断内容に沿った最高裁による統一的かつ具体的な判断要素の提示、あるいは立法的な解決が望まれる問題であると考えております。
この点、わが国を除く多くの先進国において、「他人の氏名」であれば、その全てについて、その他人の承諾ない限り商標登録を認めないとの判断はしていません。
むしろ、知的財産保護の観点から積極的に自己の氏名を冠したブランドについて商標登録を認める運用をしているところ、従来の知財高裁の「他人の氏名」にかかる形式的かつ硬直的な判断は、現在の国際標準と乖離していると言わざるを得ません。
それ故、わが国においても、知的財産権の保護における国際協調、国際調和の観点から、他の先進国と同様に商標法4条1項8号の解釈適用を行うべきであり、かつ、そのように解することが、上記で述べたとおり、同号の立法趣旨にもかなうというべきと思料致します。
7. 参考文献、資料等
- 知的財産高等裁判所・裁判例検索
https://www.ip.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail?id=5611 - ジュリスト1549号112頁
- 日本経済新聞2020年12月24日付「登録できない氏名商標」と題する記事
8. 最後に
当事務所は、これまで25年以上に亘って、世界最大のファッション業界大手企業体の我が国における代理人として法的サービスを提供して参りました。
私も当事務所に入所以来、同ファッショングループのみならず、様々な業種の企業の代理人として、商標、意匠等に関する登録・維持・管理業務(いわゆるポートフォーリオ業務)や、商標法ないし不正競争防止法に係る侵害案件の対応に従事しており、訴訟事件対応を含めた実務経験を有しております。
知的財産権に関して何かお困りのことがございましたら、是非、お話をお聞かせ頂ければと思います。以下の下線の弁護士名をクリック頂き、お問い合わせフォームよりご連絡頂ければ幸いです。
(担当弁護士 金子典正)