今月の判例コラム

時間外労働等に対する対価の判断基準 最高裁第一小法廷平成30年7月19日判決

1 はじめに

 最高裁判所は、平成30年7月19日、雇用契約において時間外労働等の対価とされていた定額の手当の支払が、労働基準法37条の割増賃金の支払いといえるか否かが争われた事案において、これを否定した原審の判断を覆す判決(破棄・差し戻し)を言い渡しました。

 固定残業代(みなし残業代)とは、時間外労働、休日労働、深夜労働の有無にかかわらず、一定時間分の時間外労働などについて割増賃金を定額で支払う制度のことです。
 近年、多くの企業において導入されている制度ですが、労働裁判で残業代等が請求された場合に、固定残業代による残業代等の支払いが無効と判断される事案が少なくありません。

 そこで、業務手当の名目で支払う金員(固定残業代)が、時間外労働に対する割増賃金として認められるか否かの判断基準を示す実例として、今回のコラムでご紹介させて頂きます。

2 事案の概要

  • Xは、平成24年11月10日、保険調剤薬局の運営を主たる義務とするYとの間で、雇用契約(以下、「本件雇用契約」という。)を締結しました。
  • 本件雇用契約にかかる契約書には、賃金について「月額56万2500円(残業手当含む)」、「給与明細書表示(月額給与46万1500円 業務手当10万1000円)」との記載がありました。また、同じく採用条件確認書には、「月額給与 46万1500円」、「業務手当 10万1000円 みなし時間外手当」、「時間外勤務手当の取扱い 年収に見込み残業代を含む」、「時間外勤務手当は、みなし残業時間を超えた場合はこの限りではない」との記載がありました。Yの賃金規定には、本件雇用契約は、基本給とは別に、月額10万1000円の業務手当を支払うとされていました。
  • YとX以外の各従業員との間で作成された確認書には、業務手当当月額として確定金額の記載があり、また、「業務手当は、固定時間外労働賃金(時間外労働30時間分)として毎月支給します。1賃金計算期間における時間外労働がその時間に満たない場合であっても全額支給します。」等の記載がありました。
  • YがXに交付した毎月の給与支給明細書には、時間外労働時間や時給単価を記載する欄がありましたが、これらの欄はほぼ全ての月において空欄でした。
  • Xが、Yに対し、超過勤務があったなどとして、未払時間外割増賃金363万66689円及びこれに対する支払済みまで商事法定利率年6分の割合による遅延損害金及び付加金363万6689円及びこれに対する判決確定の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案です。

3 争点

 月額10万1000円の業務手当が、いわゆる固定残業代に当たるか、すなわち、業務手当の支払により時間外労働等に対する賃金が支払われたといえるか否かが争点となりました。

4 原審と最高裁の判断

(1)原審の判断

 原審は、
 いわゆる定額残業代の支払を法定の時間外手当の全部又は一部の支払とみなすことができるのは、定額残業代を上回る金額の時間外手当が法律上発生した場合にその事実を労働者が認識して直ちに支払を請求することができる仕組み(発生していない場合にはそのことを労働者が認識することができる仕組み)が備わっており、これらの仕組みが雇用主により誠実に実行されているほか、基本給と定額残業代の金額のバランスが適切であり、その他法定の時間外手当の不払や長時間労働による健康状態の悪化など労働者の福祉を損なう出来事の温床となる要因がない場合に限られる。

 本件では、業務手当が何時間分の時間外手当に当たるのかがXに伝えられておらず、休憩時間中の労働時間を管理し、調査する仕組みがないため上告人がXの時間外労働の合計時間を測定することができないこと等から、業務手当を上回る時間外手当が発生しているか否かをXが認識することができないものであり、業務手当の支払を法定の時間外手当の全部又は一部の支払とみなすことはできない、
と判断しました。

(2)最高裁の判断

 これに対して、最高裁は、
 労働基準法37条が時間外労働等について割増賃金を支払うべきことを使用者に義務付けているのは、使用者に割増賃金を支払わせることによって、時間外労働等を抑制し、もって労働時間に関する同法の規定を遵守させるとともに、労働者への補償を行おうとする趣旨によるものであると解される。また、割増賃金の算定方法は、同条並びに政令及び厚生労働省令の関係規定(以下、これらの規定を「労働基準法37条等」という。)に具体的に定められているところ、同条は、労働基準法37条等に定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまるものと解され、労働者に支払われる基本給や諸手当にあらかじめ含めることにより割増賃金を支払うという方法自体が直ちに同条に反するものではなく、使用者は、労働者に対し、雇用契約に基づき、時間外労働等に対する対価として定額の手当を支払うことにより、同条の割増賃金の全部又は一部を支払うことができる。

 そして、雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである。しかし、労働基準法37条や他の労働関係法令が、当該手当の支払によって割増賃金の全部又は一部を支払ったものといえるために、原審が判示するような事情が認められることを必須のものとしているとは解されない。

 事実関係等によれば、本件雇用契約に係る契約書及び採用条件確認書並びにYの賃金規程において、月々支払われる所定賃金のうち業務手当が時間外労働に対する対価として支払われる旨が記載されていたというのである。また、YとX以外の各従業員との間で作成された確認書にも、業務手当が時間外労働に対する対価として支払われる旨が記載されていたというのであるから、Yの賃金体系においては、業務手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものと位置付けられていたということができる。さらに、Xに支払われた業務手当は、1か月当たりの平均所定労働時間(157.3時間)を基に算定すると、約28時間分の時間外労働に対する割増賃金に相当するものであり、Xの実際の時間外労働等の状況と大きくかい離するものではない。これらによれば、Xに支払われた業務手当は、本件雇用契約において、時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていたと認められるから、上記業務手当の支払をもって、Xの時間外労働等に対する賃金の支払とみることができる。原審が摘示するYによる労働時間の管理状況等の事情は、以上の判断を妨げるものではない。

 したがって、上記業務手当の支払によりXに対して労働基準法37条の割増賃金が支払われたということができないとした原審の判断には、割増賃金に関する法令の解釈適用を誤った違法がある。

 以上によれば、原審の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、原判決中Y敗訴部分は破棄を免れない。そして、Xに支払われるべき賃金の額、付加金の支払を命ずることの当否及びその額等について更に審理を尽くさせるため、上記部分につき本件を原審に差し戻すこととする、
と判断しました。

5 検討

 本判決以前の下級審の裁判例においては、雇用契約においてどのような合意がされたかという点以外の別の要件として、支給時に支給対象の時間外労働の時間数と残業手当の額が労働者に明示されていることや固定残業代によってまかなわれる残業時間数を超えて残業が行われた場合には別途精算する旨の合意が存在するか、少なくともそうした取扱いが確立していること等が必要とされているようにも見られておりました。

 しかし、本判例では、事例判断ではあるものの、定額の手当制につき、その手当が時間外労働等に対する対価として支払われたか否かは、形式面としての契約内容と、実質面としての労働者に対する説明状況や実際の勤務状況により定まるのであって、少なくとも、「定額残業代を上回る金額の時間外手当が法律上発生した場合にその事実を労働者が認識して直ちに支払を請求することができる仕組み(発生していない場合にはそのことを労働者が認識することができる仕組み)が備わっており、これらの仕組みが雇用主により誠実に実行されているほか、基本給と定額残業代の金額のバランスが適切であり、その他法定の時間外手当の不払や長時間労働による健康状態の悪化など労働者の福祉を損なう出来事の温床となる要因がない」等の原審が判示するような事情が必須ではないことを明らかにております。
 そのため、本判例は、今後の実務上の重要な指針となり、先例的な意義を有するものと思料致します。

6 最後に

 当事務所には、企業法務の一環として、主に雇用主の立場からの労働法務を専門的に取り扱い、長年に渡る豊富な交渉実績と訴訟経験を有する弁護士が多数在籍しております。
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 (担当弁護士 金子典正/同 小熊慎太郎